水産に関する豆知識を、当社がコラムしたものです。下記リストよりご参照下さい。
昔は食卓に鯨が並べられることは珍しくなかったが、今日において、鯨は一部の地域でしか手に入らない貴重なものとなっている。その理由は、そもそも鯨を捕ってはいけないという状況になったためだが、なぜそうなったのだろう?1946年に国際捕鯨取締条約が完成し、1948年に国際捕鯨取締条約が発効された。これに基づいて組織されたのが国際捕鯨委員会(IWC)である。この条約は「鯨類の保存とその合理的利用ならびに捕鯨産業の秩序ある発展」を目的とし、頭数の少なくなったクジラの捕獲禁止、管理を行っている。IWCの初期の管理方法は、シロナガスクジラ換算にて、南氷洋における1年間の捕獲枠を決め、漁期のスタートとともに各国とも操業を開始し、捕獲総数が捕獲枠に達し次第、その年の操業を打ち止めにするというものだった。そのため、限られた捕獲枠の中で、それぞれの国が他の国よりも1頭でも多く捕ろうと、早い者勝ちという競争意識をあおるものであったため「オリンピック方式」と呼ばれた。その管理方法を失敗と悟ったIWCは、次に「国別割当」といって、それまでの実績を基にその年の捕獲枠を国別に設けることにした。そうした中、植物油が安価で手に入るようになり、鯨油の需要は少なくなった。日本とノルウェーとアラスカ以外の捕鯨国は鯨油目的で鯨から油だけを取り、肉などはそのまま海に捨てていた。捕獲割当量が減少していき、操業コストと収益がつり合わなくなったため、次々に南氷洋から出て行った。そして、最終的に残ったのは日本と旧ソ連のみだった。日本は鯨を肉からヒゲにいたるまで、ほとんど全て利用するため、1頭から他国よりも高収入を得ることが出来るため商業捕鯨という形で生き残ることが出来たのだろう。ちなみに、旧ソ連は日本に鯨肉を売っていたようだ。しかし、そのように捕鯨を行ううちに、1900年頃には約20万頭もいたといわれるシロナガスクジラは2000頭程度まで減少してしまった。そういった背景の中、反捕鯨運動の勢力が高まり、1972年にストックホルムで開かれた国連人間環境会議で、「全ての鯨は危機に瀕している」と演説され、「商業捕鯨の10年間停止勧告」が採択された。さらに、反捕鯨勢力はIWCにも力を及ぼし始め、捕鯨を行っていない国や、海のない内陸国までIWCに加盟し、反捕鯨を唱えるようになった。そうした結果、1982年についに、4分の3以上の捕鯨反対の票が集まり、商業捕鯨の10年間の一時停止が決定した。しかし、10年後の1992年に捕鯨を再開することは出来なかった。IWCが次に行う「改訂管理制度」のルール作りが終わるまでは再開できないと決議されたためだ。そのルール作りは大変難しく、今もまだ捕鯨を再開できずにいる。現在、私達の食卓に並べることのできる鯨は調査捕鯨による鯨が中心となってしまい、めったに並ぶことはなくなってしまった。そんな中、ミンククジラは世界中の海で増え続け、いまや100万頭以上いるといわれている。ミンククジラが増えすぎて、ミンククジラが餌とする小魚が減少傾向にあるという報告もある。私達が日常的にクジラを食べることはできなくなったが、ミンククジラの食卓には、今夜も大量の小魚が並ぶのだろう。
ふぐのことを、下関では「ふく」と呼びます。ふぐは「不遇」に通じ、ふくは「福」に通じるからだそうです。下関のふく食文化は、遠く先史時代にさかのぼります。下関市安岡の潮待貝塚からは、二千年以上も前のものと推定されるふぐの骨が発見されていることからも大昔からかなり大がかりな「ふく漁業」が行われていたと考えられています。ふぐには言うまでもなく「猛毒」があります。今では、山口県の条例でふぐ処理師の資格試験を設けていますから、絶対安全なのですが、古代の人々は、危険と知りつつも、ふぐの味に惹かれ、命懸けで食べ継いできたのです。先人達をこうしてまでかりたてた、ふぐの魅力とは、そしてふぐにまつわる歴史を、今回は少し掘り下げてみましょう。文禄・慶長の役(1592〜1598)の折り、数多くの兵士が諸国から下関を通過しています。食料不足も重なったせいか、下関でたくさん獲れるふぐを、兵士達は内臓ごと食べたため、集団食中毒死しました。これを耳にした豊臣秀吉は、烈火のごとく怒り「河豚食用禁止の令」を出しました。字を読めない者の為に、ふぐの絵を描いて、「この魚くうべからず」と立札までしたのだといいます。これが、日本最初のふく食の取り締まりといわれています。それが、藩政時代にも引き継がれ、毛利藩でもふぐを食べて死んだ者は、お家断絶と厳しかったのです。しかし、下関周辺の庶民は盛んにふぐの味を楽しんでいたようです。明治維新の火付け役となった、吉田松陰には、『河豚を食わざるの記』という一文がります。「世に言う『河豚には毒あり』と、其の之を嗜む者特に衆く、余独り食わざるは、死を懼るるに非らるるなり、名を懼るるなり」とあり、藩のふぐ食禁令をあくまで守ろうとする吉田松陰の決意がしのばれます。明治政府は、明治十八年(1885年)に、「違警罪即決例」を公布しました。その中には「フグを喰う者は拘留科料に処す」という項目があり、ふぐの食用を全国的に禁止していた。さて、この長い間のふぐ禁食令を解いたのは、山口県出身の後の総理大臣となる伊藤博文です。明治二十一年(1888年)伊藤博文が、下関の料亭「春帆楼」を訪れました。あいにくその日は、海はシケており魚が獲れなかったため、女将はしかたなく叱られるのを覚悟でふぐ料理を出しました。すると、「こんな美味いものをどうして禁止にしておくのか」ということになり、伊藤博文によって、時の山口県令原保太郎に対して「違警罪即決例」のフグの条項を削除させるように働きかけたのです。同年より、山口県下では大っぴらにふぐが食べられるようになったそうです。これにより、豊臣秀吉が発令して以来続いていたふぐ禁食令は解除されたのです。〔参考文献〕「ふく百華」:ふく百華出版委員会
その答えは、『 スケトウダラの卵巣 』です!!スケトウダラは、漢字で助宗鱈、英語でWalleye pollack、学名でTheragra chalcogrammaと書きます。
名前の由来はいくつか説がありますが、人手のいる魚だから助っ人タラ、佐渡近海でよく獲れていたことにちなんで、「佐(すけ)」「渡(と)」ダラと呼ばれる説があります。また、江戸時代までは、朝鮮半島から伝わっていた「メンタイ(明太魚)」の呼び名が一般的に使われていました。そうしたことから今でも、スケトウダラの卵巣の塩蔵品を唐辛子で調味したものを「明太子」と呼んでいます。それなら、「鱈子(タラコ)」はマダラの卵巣?と思うかもしれませんが、これはスケトウダラの卵巣からつくられたものです。スケトウダラは、北太平洋北部と日本海、オホーツク海、ベーリング海に広く分布しています。生息水温は10℃以下で、2〜5℃の極寒の海域に多く生息しています。弊社では、ベーリング海ダッチハーバー沖合で漁獲されたアラスカ産スケトウダラの卵巣のみを原料としています。
上記のものを仕入れているのには理由があります。それは、アメリカではスケトウダラの親の漁獲を厳しく規制し、資源を管理しているため乱獲傾向はなく、もし多年魚が減っている状態と判断されたなら、次の年には漁獲数の割当量を減らす等の厳しい資源管理が行われています。そのため、比較的自然な状態であり、成魚が多く回遊しているため、毎年平均6〜8年魚の比較的大きなスケトウダラを安定して漁獲することができています。それに比べ、北太平洋北部及び日本海、オホーツク海を漁場としているロシア、北海道では、漁獲規制はされているものの、その規制は緩く、他の魚種と同様に乱獲傾向にあります。そのため回遊する成魚の数が少なく、平均して3、4年魚のスケトウダラが漁獲されています。中には大きく、北海道羅臼沖の真子に近いクラス、氷山沖の釣り物のように質の良いものもありますが、平均するとアラスカ産の方が質が良いと判断されます。この様な理由から、弊社ではベーリング海ダッチハーバー沖合で漁獲されたアラスカ産スケトウダラのみを厳選しているわけです。そして、冷凍・加工等の設備の整った大型漁船によって漁獲されたスケトウダラは、漁獲されてすぐに、極寒の洋上で加工され、急速冷凍されます。その後、アラスカの市場に水揚げされた時、入札によって買い付けられた原料を仕入れています。ここで、スケトウダラの卵巣について詳しく分類してみます。スケトウダラの卵巣はガム子、真子、目付け、水子、皮子の5つに分類されます。ガム子は、まだ卵が成熟しておらず、ガム状になっていることからガム子と呼ばれています。 ↓ 真子は、産卵する直前の成熟した卵巣です。 ↓ 目付けは、約2割程度産卵された卵巣です。↓ 水子は、約半分産卵されたもので、海水が入っているため水子と呼ばれています。↓ 皮子は、ほとんど産卵し終えた卵巣です。 ベーリング海では、1月下旬から2月中旬が「旬」だと言われますが、その時期はスケトウダラの卵が成熟した真子の状態にあるためです。それから4月頃になると、皮子になります。弊社は毎年2月上旬前後の、原料を何種類か吟味し、その中で最高のものを限定して仕入れています。上記のようなことから、高品質であることは間違いないことを保証します。また、原料搬入後も、徹底した衛生管理、温度管理をし、辛子明太子、たらこを製造しています。ちなみに、「鱈腹(たらふく)食う」という俗語がありますが、これは、タラは貧食性の魚で色々なものを多く食べ、そのため腹がふくれているということから出た言葉です。弊社の明太子を鱈腹お召し上がりになってみてはいかがでしょか?
(注:地名につきましては、この表に載っていないものもあると思いますので、その場合は写真を参考に調べて下さい。)※ 弊社で取り扱っているふぐは、「トラフグ」、「マフグ」、「ゴマフグ」、「シロサバフグ」、「クロサバフグ」です。大変残念なことですが、毎年ふぐの毒であるテトロドトキトシン(tetrodotoxin)による食中毒を経験する方がいます。これは、ふぐ処理師の免許を持たない素人の釣り人が、ふぐの種類、可食部位を確認せずに調理したための事故です。ふぐは地方によって名前も違うので、どのようなふぐかを確認する必要があります。この猛毒を予防する方法は、「ふぐ処理師の免許を持たないような素人は絶対に調理をしない」ということです。弊社では3人のふぐ処理師がおり、万全の体制で調理しておりますので、このような事故が起こることは一切ございませんので、安心してお召し上がり下さい。<弊社の持つふぐ処理師登録番号>5629号・5630号・6240号また、フグの歴史については、弊社のHP『水産トリビア』の「ふぐと人間の歴史」をご覧下さい。
【鯨肉の素材図】Cuts form the Whale
くじら肉はたんぱく質が豊富で、脂質は極めて低く、コレステロールの低い大変ヘルシーな肉です。クジラにはひげクジラと歯クジラの2種類がおりますが、ひげクジラは主食がプランクトンなので肉に臭みが少なく、歯クジラは雑食主義であるため、多少肉に臭みがあります。また、弊社は南氷洋・北大西洋調査捕鯨で捕獲されたミンククジラを使用していますが、基本的にミンククジラのようなひげクジラの肉には臭みは気になりません。一番美味しいと言われるシロナガスクジラは捕獲禁止であるため手に入れることはできません。しかし、シロナガスクジラには多少劣りますが、美味しいミンククジラがここにあります!!
開会宣言
来賓挨拶
来賓挨拶−(2)
来賓挨拶−(3)
「鯨産業史の中での下関の役割」岸本充弘(下関市農林水産業水産課)
「南氷洋捕鯨の国際的規制枠組みと日本」飯野靖夫(財団法人 日本鯨類研究所)
パネルディスカッション
【昼食−鯨弁当】大変美味しくいただきました。真ん中の右端にあるのが弊社にもあります「鯨の竜田揚げ」です。
下関港に停泊中の旧南氷洋捕鯨船「第25利丸」
旧南氷洋捕鯨船「第25利丸」−(2)
旧南氷洋捕鯨船「第25利丸」−(3)
旧南氷洋捕鯨船「第25利丸」−船室の外観
一般公開中で多くの人が見学していました。
捕らえた鯨を引き上げる
この上に捕鯨砲があります。
上に登って鯨を探す
船のオモテ
旧南氷洋捕鯨船「第25利丸」−写真中央が操舵室
捕鯨砲−(1)
捕鯨砲−(2)
捕鯨砲−(3)−鯨を狙う視点から
旧南氷洋捕鯨船「第25利丸」−前方の外観
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